2日目:11月11日(午前の部)
信貴山へ行こう!
今日の目的地、まずは信貴山朝護孫子寺だ。信貴山と言えば、信貴山城⇒松永弾正久秀!と連想されるわたしは戦国史好き。松永久秀は織田方の武将だったが、謀反を起こす。信長に追い詰められ、信長が欲しがった茶釜”平蜘蛛”とともに爆死。”平蜘蛛”を渡せば許す、と言われてたようだけど、『誰がお前なんかに渡すかよ!』って感じ?信長に攻められたとき、朝護孫子寺も焼失したが、後の天下人・豊臣秀吉の息子、秀頼によって再建された。
って、長々書くな?わたしなんかは「へー、そうだったのか」と興味津々だけど。
昨日見ていたドラマの主人公・聖徳太子ゆかりの寺でもあるそう。物部守屋と戦う前、勝利を祈願しに信貴山へ登ったんだって。そのときに毘沙門天が降臨し、それを祭ったのが朝護孫子寺の始まりなんだそう。そういえば、ドラマは物部と戦うちょっと前辺りから見たんだった。

近鉄で信貴山下駅へ行き、そこからバスに乗って山道を登る。歩いても行ける。時間があるなら、ハイキングしながら登るのも良いかも。バスの窓から眺めると、歩いている人たちもちらほら。

灯篭の並ぶ参道を歩く。人はまばらでとても静か。非日常へと向かって歩いているようだ。けれど段々とにぎやかになっていく。そして、で、出たぁ〜!朝護孫子寺と言えば、寅!世界一大きな寅がお出迎えしてくれる。張子のトラは、たぶん電動なんだろうな、お顔の部分が動くのだ(笑)右下にいる人と比べてみると、その大きさがわかるでしょ?

ちなみに、何故寅なのかというと、この地に初めて毘沙門天が現れたのが「寅の年・寅の日・寅の刻(午前4時)」だったからだとか。当然本尊は毘沙門天v

山の中腹にあるお寺なので、階段や坂道が多い。本堂に行く前に、数ある塔頭のうち何箇所か周る。ひとけが少ないところは行きづらい。深く信仰してるわけでもないので、奥まで入るのもなんだかね・・・。

三重塔があるところからの眺め↓。写真だとわかりにくいんだけど、遠くに見える山の稜線に雲がかかってるの。この信貴山が下界とは切り離された上の世界にいるみたい。


昨日の長谷寺に続き、またまたにゃんこ発見!後姿のシルエット。どこにいるのかよくわかんないよね(笑)近づいたら逃げちゃったよ。


それからいよいよ本堂へ。お経を上げる声が聞こえてくる。どうやらスピーカーを設置していて、本堂での音が、外にも聞こえるようにしているらしい。
こちらの本堂も長谷寺同様、舞台がある。やはりまだ紅葉はちらほらとなんだけど、それでも広い空、山の緑を眺めてのーんびり。

本堂から三重塔と日本一大きな地蔵尊を眺める↓。


本堂に奉られているのは、毘沙門天。ご丁寧に、毘沙門天の真言は”オン ベイシラ マンダヤ ソワカ”と書かれた立て札があった。実は、毘沙門天の真言だけは前から知っている・・・。ある小説の影響だけど。


(笑)ホント、寅づくしのこのお寺。こんなのまである。口から中に入って、おしりから出る。中には小さな仏様がいらした。この中を通りぬけるとご利益があるようだ。なんだかテーマパークみたいで面白い。本堂近くには霊宝館もある。楠木正成の母がこのお寺で祈ったから、彼が生まれたらしい。その縁でなのか、楠木正成に関するものが数点。国宝の”信貴山縁起絵巻”もある。普段は模本を展示しているけど、10月末から2週間、原本を公開している。この日が最終日だった。模本っていっても、江戸時代のものだからそれなりに古い。けど原本は平安末期。江戸時代が新しく思えるわ。

満足して朝護孫子寺を後にする。寅のキーホルダー買っちゃった(笑)かわいかったんだもん。でも母にあげた。おみくじも引いたっけ。いえ〜い!大吉v『堅実に行け』とのこと。七福神の小さなお守りが入っているやつで、わたしのは弁財天だった。
でっかい寅のいる所で本堂を振りかえる。ガイドブックで見た風景だ。


お寺の近くで鮮やかな紅葉を見ることも出来た。


行きの生駒から信貴山下駅までの電車で1人旅らしい女の子と同じ車両になる。ガイドブックを見ながらサンドイッチを食べていた。朝護孫子寺に行くのかな?と思っていたら、やはり山の上行きのバスに乗った。朝護孫子寺は広い敷地を持つとは言え、行くポイントは同じなので、その女の子と数回すれ違う。さらには、帰りのバスを待っていたら、その子がやってきて、同じバス&電車に乗って帰っていった。生駒からは知らないけど、同じような人もいるんだなぁ。

1日目:2日目(午前):2日目(午後)


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